友歩会第50回記念例会・稲沢市ウオーキングレポート
(平成26年6月7日(土)(下見・4月19日(土))
天気&歩数:(下見:晴れ・歩数:29,560歩・7名参加。例会:曇り・歩数:33,337歩、42名参加)
コース:国府宮駅→国府宮神社→赤染衛門歌碑→美濃路街道→稲沢公園→荻須美術館→
→大塚山性海寺→国分寺→矢合観音→下水道科学館→上丸渕駅→帰宅
※ウオーキングマップ(参照) ※全員集合(国分寺) ※三宅川の蛇行
★友歩会例会史跡巡りpart6稲沢ウオーキング(09/06/06)★万葉公園高松分園花菖蒲まつり(09/06/06)
★稲沢市ホームページ ★稲沢市観光協会 ★国府宮神社
国府宮駅091 |
4月19日から始まった参道の植木まつり095 |
国府宮神社参道の植木まつり097 |
参道の植木まつり100 |
植木まつり102 |
参道の植木まつり101 |
御仮殿(本殿の東に新築)67008 |
参道でコース説明等67011 |
中高記念館113 |
中高記念館67002 |
中高記念館説明 w113 |
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赤染衛門歌碑公園116 |
大江川を開削した大江匡衛(おおえまさひら)の碑67017 |
t115 赤染衛門歌碑公園 |
尾張国衙址124 ★国府宮と尾張国衙跡について(研究1pdf) 国府宮は、尾張国府の創始以前に創建され、奈良時代、尾張 国衙に隣接していたことから、尾張国の総社とされた。 旧暦正月十三日に行われる儺追神事は「はだか祭」と呼ばれ 有名な祭り。楼門と拝殿は重要文化財に指定されている。 国府宮の西側にあった尾張国衙は、国司が政務をとる官庁 でその所在地を国府と呼んだ。国衙は、大化の改新のあと 七世紀後半に置かれたが 、この地が尾張の政治・文化の 中心であったことを示している。 すぐ近くにある、大江匡衡、赤染衛門の歌碑は、稲沢市に ゆかりの深い、平安の女流歌人「赤染衛門」とその夫で 大江川の開削に力を注いだ「大江匡衡」の二人を顕彰する ために市制三十年を記念し建てられた。 大江匡衡は長保三年(1001)と寛弘六年(1009)尾張守に任命 されて赴任した。ここに刻んだ二首の歌意は、大江匡衡が 尾張国に再び赴任した住み慣れた この地を思い出し詠んだ もので、その「返し」に 赤染衛門が、詠んだ歌だ。 |
歌碑説明 w117 |
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美濃路街道の旧家127 |
美濃路街道の旧家128 |
美濃路街道の旧家129 |
稲沢公園へ132 |
稲沢公園67026 |
公園の新緑の中を歩く67027 |
公園で休憩67029 |
荻須記念美術館136(6.7には館内の展示を見学した。) |
せんき薬師寺139 |
大塚山性海寺へ141 |
性海寺案内図 w117 ※ウオーキングマップ(参照) Top |
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性海寺説明 Top w142 |
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稲葉宿本陣跡の碑ina67t020(美濃路) |
性海寺の市指定天然記念物・イブキina67t047 |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のあじさい祭り |
性海寺のムクロジの古木(市指定天然記念物) |
性海寺多宝塔t146 |
円光寺の萩の種類t165 |
性海寺多宝塔147 |
性海寺・本尊善光寺如来を安置150 Top |
大塚山古墳151 |
国分寺へ153 Top |
国分寺文化財の収納庫154(本日6.7・内部見学できた) |
国分寺・本堂157 |
国分寺・文化財:木造釈迦如来座像67082 |
本殿で昼食後全員集合67093 Top |
国分寺境内の菩提樹67095 |
国分寺境内のソテツの古木 |
矢合観音参道の花屋さん159 |
矢合観音162 |
矢合観音163 |
円光寺(萩寺)へ164 |
佐藤一英 萩の詩碑166(円光寺境内) 佐藤一英の歌碑(萩の歌碑)萩園聯詩 「はかなかる露もたのむや 墓守りのこれや萩園」 「遙かなる月もまねくや 歯並よき石の萩園」 ※明治32(1899)年に一宮市に生まれた佐藤一英は、第一詩集 「晴天」を大正 11(1922)年に発表し、萩原朔太郎に認められ 中央詩壇に新進詩人として登場し、一貫して日本詩における 韻律の探求と実践に努めました。 平成11年には代表作大和し美し」を棟方志功の板画で表現 した記念切手が生誕100年を記念して発行されました。 Top |
歌碑建立についてt167 Top |
円光寺(萩寺)の萩67103 |
円光寺(萩寺)の萩67105 |
円光寺境内169 |
愛知県下水道科学館へ177 |
下水道科学館案内図178 |
シールドマシン180 |
下水道科学館へ 182 Top |
鷲尾農村公園のふじがよく咲いていた。184 |
鷲尾農村公園のふじ186 |
ゴールの名鉄尾西線上丸渕駅196 Top |
全員集合(国分寺) Top |
一宮あたりから南下する三宅川が国府宮付近で蛇行する(○で記されている)の様子が良く分かる。 Top (6.7友歩会参考資料・明治22年作成) |
★国府宮神社 (★Wikipedia解説) Top ※ウオーキングマップ(参照)「御祭神(ごさいじん)」 尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ) 尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であり、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、その日その日を生きて いく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのであり ます。 「由緒」 尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されております。当社は奈良時代、国衛 (こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社で ありました。このことから通称「国府宮」として広く知られております。 「社殿」 本殿は流造、拝殿は切妻造、全体の様式(建物の配置)は尾張式といわれるもので、本殿・渡殿・祭文殿・ 東西の廻廊・拝殿・楼門と建ち並んでおります。 Top ★国府宮と尾張国衙跡について(PDF研究) ★稲葉宿と三宅川(Web解説) ★三宅川(愛知県) ★現在の三宅川Map ★稲沢公園(稲沢市稲沢町下田150-8) Top 稲沢公園は、公園周辺を含む「文化の杜」構想の核として計画された”緑と文化”のシンボルです。 この公園内にある荻須記念美術館との調和を考慮し、「緑に囲まれた憩い」「緑の中での遊び」 「緑の中での鑑賞」の場として、緑・水・光を取り入れた自然景観となっています。 「公園の概要」 面積=4.1ha 主な施設=芝生広場・約6,000m2、バラ園・800本 樹木=トチノキ、クスノキなど77種約1万4,000本 Top ★荻須美術館(概要) Top 稲沢市荻須記念美術館は、稲沢市出身でパリを中心に活躍した画家荻須高徳の業績を讃えるため、 また市民の美術文化振興に寄与することを目的として、昭和58(1983)年に稲沢市が建設しました。 現在、美術館は緑豊かな稲沢公園に囲まれ、荻須の画業全体を見渡すことができる常設展や、 年1回の荻須に関連した特別展、市民の文化・芸術発信の場としての展覧会など様々な展示を行なっ ています。また、荻須がパリで使用していたアトリエの復元施設等を御覧いただけます。 Top ★大塚山性海寺 Top 性海寺(しょうかいじ)は、愛知県稲沢市にある真言宗智山派の寺院。山号は大塚山。 本尊は善光寺式阿弥陀三尊像。 「歴史」 寺伝によれば、弘仁年間(810年〜924年)空海によって愛染明王を本尊として創建されたと伝えられ、 治承年間(1177年〜1181年)阿弥陀三尊像が安置されたという。 建久年間(1190年〜1199年)に長谷部源政が開基となり良敏が開山となって中興されたという。稲沢市 では、歴史公園として平成4年にオープンし、毎年6月1日頃から、『あじさい祭り』を開催している。 園内には、「伊豆の華」「カシワバアジサイ」「城ケ崎」など約80種1万株のあじさいがある。 「文化財」 重要文化財(国指定) 本堂 附:旧須弥壇擬宝珠4箇 慶安元年(1648年)の建立。入母屋造?葺き、方三間で、正面向拝の屋根は唐破風造とする。近世の建物 だが、内部の天井、須弥壇などには中世の部材が残されている。 須弥壇には弘安4年(1281年)の墨書がある。宝塔本堂内に安置する、円筒形の塔身に宝形屋根を架けた 形式の塔婆。本尊を安置する厨子として用いられており、高さ2.6メートルの小塔であるが、「建造物」 として重要文化財に指定されている。 須弥壇と同じく弘安4年(1281年)頃の建立と推定される。多宝塔 - 室町時代木製漆塗彩色金銅種子装 五輪塔 附:塔内納入品一括 高さ48.7センチメートルの五輪塔。色漆と顔料で五色に彩色し、その上に 金銅製の種子(梵字)を貼り付ける。解体修理に伴い、内部から能作生珠(のうさしょうしゅ)など の納入品が発見され、納入文書の記載から塔は弘安8年(1283年)の作と判明した。 Top ★国分寺跡(稲沢市) Top 尾張国分寺跡が国の指定史跡に 平成24年1月24日、市内矢合町にある尾張国分寺跡が国史跡に指定されました。国分寺跡の国指定は、 尾張国分寺跡が46番目の指定となり、愛知県内では、36ヶ所目の国史跡です。なお、国分寺跡は古代の国 ごとに置かれた官寺(国が建てた寺院)の遺跡で、愛知県では三河国分寺跡(豊川市)と尾張国分寺跡の 2ヶ所しかない貴重なものです。 尾張国分寺跡 尾張国分寺跡は、奈良時代、聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考え全国に置くことを命じた、古代の 重要な寺院の遺跡です。今から約1,300年前、日本は60余りの国(現在の県に相当)に分かれ、今の愛知県 西部には尾張国があり、都から派遣された国司によって政治が行われていました。 741年(天平13年)に聖武天皇は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てることを命令し、尾張国では稲沢市 矢合町及び堀之内町に国分寺が建てられました。尾張国分寺は、884年(元慶8年)に焼失し、愛知郡の 願興寺に役割が移ったと伝えられています。 尾張国分寺跡は、現在までに金堂跡、塔跡、講堂跡などが確認されており、東西約200m、南北約300m以上 の大寺院であったことがわかっています。 Top★矢合観音 Top ※ウオーキングマップ(参照) 矢合観音は、お寺ではなく所謂在家である。橋本家に代々奉祀されて来た観音様が諸病に効験がある、 と言うことでいつの時代からか近隣近在は無論のこと遠地からも参詣者が集まるようになった。 宗派は禅宗、臨済宗妙心寺派である。矢合観音の由来については、これを奉祀する橋本家に於いても定か ではなく、関東から来た六部が当家で痛く世話になり、その礼に観音像を置いていったとも伝えられ、 或いは戦国時代も末期、矢合には城がありその城主の持仏だったとも、又は井戸から出た仏様とも。 謂われは諸説あるが、江戸時代の尾張藩の学者細野要齋の随筆「感興漫筆」に収録されている如く、 今から250年位前、矢合円興寺(今の国分寺) に於いて大法会があり、橋本家先祖が労を厭わず奔走 したその礼に住職から仏像を附与されたとするのが当を得ていると思われる。先の細野要齋は安政3年に 参詣に来ている。 矢合観音では始め乳の病、指の痛みを呪していたが後には諸病の全快も祈るようになったとある。 (註「感興漫筆」は蓬左文庫の中にあり) お水については庭の井戸より湧く水が霊験ありと言うことで、いつの頃からか近在に伝わって行った。 植木・苗木の産地としての矢合が各地に知られ、その販路の広がりと共に矢合観音の評判も口伝され、 遠方にも知れ渡ったのである。 特に毎月十八日は(命日)縁日と言うことで老若男女の参詣は一層多く終日輻湊する。Top ★上丸渕駅 Top 上丸渕駅(かみまるぶちえき)は、愛知県稲沢市祖父江町三丸渕郷前にある、名古屋鉄道尾西線の駅 である。 Top Top ★稲沢市ホームページ ★稲沢市観光協会 ★祖父江ふれあいの郷 ★万葉公園高松分園花菖蒲まつり(09/06/06) |