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JRさわやかウオーキング柏原宿と紅葉の徳源院レポート
  (平成20年11月23日(日)天気:晴れ

コース:7:20自宅−コンビニ -大垣駅−柏原駅9:45出発−楓並木−寝物語の里(折り返し)−
 −成菩提院−古木柏槇−徳源院(昼食)−石堂寺−清龍の溜池−一里塚跡ー王子神社古墳跡ー
 −柏原宿歴史館ー亀屋左京もぐさ店ー足湯会場−柏原駅−大垣−帰宅
(今日の歩数:37337歩:過去最高) 柏原宿歴史館 米原市 米原観光協会

★★徳源院拡大版(5枚分)はこちら ★★柏原宿の解説はこちら ★★コースマッップはこちら


JR柏原駅出発 9:45

中山道分間延絵図石碑と紅葉 10:02

東山道・中山道分岐点道標  10:05

 中山道石標   10:06

歴史街道楓並木  10:56

寝物語の里 10:18

国(美濃・近江)境 左:不破郡須賀村石標 10:20

伊吹山を見ながら歩く 10:49

寂照山円乗寺 成菩提院 10:55

滋賀県指定自然記念物 柏槇 樹齢700年11:40

佐々木京極氏の菩提寺・清滝寺徳源院 11:47

 徳源院の道誉桜088 樹齢300年 11:48 

徳源院三重塔096 11:48 (拡大図
寛文12年(1672)に讃岐丸亀藩主であった
京極高豊が建立

徳源院は紅葉もすばらしい109 12:14
拡大図

徳源院三重塔098 12:14 (拡大図

徳源院三重塔105 12:20 (拡大図)

徳源院110  12:20 (拡大図)

徳源院山麓の紅葉  12:15

徳源院山麓の紅葉 12:18

徳源院外壁119 12:26

参加者4名122 12:28

 石堂寺 13:22

清竜の溜池 12:36

柏原一里塚跡 12:47

史跡王子古墳 13:02

柏原宿歴史館 13:28

亀屋左京もぐさ店  13:36

足湯に浸かる参加者13:44 ここで抽選会
『中山道柏原宿』について
            (Webサイトから引用)

中山道柏原宿は、中世以来の宿場で、江戸時代 に入り徳川家康によって整備、拡大されてきま した。 天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、 宿場の長さは13町(約1.5キロ)、戸数344軒、 人口1,468人とあり、大きな宿場だったことが わかります。 当時は、中山道近江路から美濃路を通って 名古屋へ出、そこから東海道で江戸を往復する ことが多かったので柏原宿はことのほか栄えて いたようです。 宿場は、7つの集落が街道に面し、本陣・脇本 陣各1軒、荷物引継の役を果たした問屋は6軒も あり、これらを補佐した年寄は8軒程、荷蔵も 東西に1軒ずつ建っていたようです。
 さらには、郷宿・旅篭屋が大小22軒、造
り酒屋4軒、艾屋は盛時には10数軒もあった
とされます。
今でも往時の面影を偲ばせる民家や松並木、
常夜灯、宿場町特有の軒の低い民家、格子戸
などが残っています。その代表的なものが、
宿の中央にある「伊吹堂」という大きな看板
のかかった伊吹艾本舗「亀屋佐京」。
往時のにぎわいを表す様子が、安藤広重の
浮世絵「木曽海道六十九次」にも描かれて
います。
平成10年には、大正時代に建築された商家
を活用して、柏原宿歴史館がオープンしま
した。
宿場や当時の旅の資料展示、周辺の史跡や
山東町のホタルを紹介しているほか、観光
案内やくつろぎの空間として地元の人々の
運営による喫茶「柏」があり、多くの来館
者が訪れています。

徳源院(清滝寺)・京極家墓所について

弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。京極氏
は、鎌倉中期に近江で勢力を振るっていた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が
京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。
 国の史跡に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、
本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672)に讃岐
丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。
 寺地は、もと氏信の柏原館があったところで、本堂裏に、裏山を取り込んだ回遊式の庭園が
あり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣きを添えます。
堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も、また格別です。

<京極家墓所>
 京極家の菩提寺・徳源院(とくげんいん)(清滝寺(きよたきでら))の本堂裏手の山麓に
あります。
上段の始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代
当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基。
下段には、それ以降の当主や分家やらの宝篋印塔14基と、淀殿の妹・はつをめとった京極
高次(たかつぐ)の墓石などが、整然と並んでいます。
 京極家は、浅井氏の台頭とともに一時期衰え、寺も荒れましたが、寛文12年(1672)高豊
(たかとよ)が境内に三重塔(県の指定文化財)を建てて以来、勢力を取り戻しました。
この時、付近に散在していた墓を一カ所に集めたといいます。
 塔の大きさは様々で、京極家の栄枯盛衰を表しています。現在、国の史跡および県の史跡
に指定されています。
<史跡>清滝寺京極家墓所            (Webサイトから引用)


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