一宮友歩会・第38回ウオーク例会(下見・例会参加)(
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 史跡巡り西尾張編Part9
(下見:平成24年4月28日(土)天気:晴れ)(例会:平成24年6月2日(土)天気:晴れ)

専修院東門悟渓屋敷般若用水元杁跡木曽川お囲い堤儀典用端折長柄傘百間猿尾先聖時沿革先聖寺天井の龍
米清旧宅小野洞砂防公園岩組ダムデレーケ式ダム★★★コースマップ参照(PDF)

専修院由緒

専修院由緒(弘安3年等東安大和尚建立) fi62w035
専修院東門 fi62w041  TOP
悟渓屋敷 fi62w044  TOP
般若用水元杁跡 fi62w051  TOP

般若用水元杁は最初慶長13年(1608)旧岩手村につくられ杁下の村名をとって般若杁と称した。
(この地より73m下流現在その跡はない)寛永11年(1634)の大水により流れたので現在地に移築された。(水色左下に入る水路)
その後元文5年(1740)になって杁前が堆砂し、取水不能になり、上流の木津用水元杁より分水することになった。
(扶桑町教育委員会昭和63年1月25日 扶桑町指定文化財(史跡)指定)
図は享保12年(1727)木曽川通絵図による。杁跡は現在地より左約9mの場所と説明されている。  TOP
木曽川お囲い堤 fi62w058 TOP

扶桑町小淵のこの付近(木曽川河口から53.4km付近)の堤防は尾張地域を水害から守るため慶長13年(1608)に犬山から弥富に
至る延長12里(約47km)の間に築造された大堤防の一部で通称「御囲堤」と呼ばれている。天正14年(1586)の洪水までの木曽川
は、各務原市前渡付近から現在の境川筋を流れ墨俣付近で長良川に合流していたが、この洪水によって流路が一変し、ほぼ現在
の河道を流れるようになった。この時、豊臣秀吉によって、美濃と尾張の国境は境川からこの新河道に変えられた。
また、濃尾用水の歴史(濃尾用水拾余話)は必読です。御囲堤(おかこいつつみ)(Wikipedia)参照
儀典用端折長柄傘 fi62w062  TOP
百間猿尾fi62w086 TOP
犬山緑地公園で参加者の皆さんka623810
先聖時沿革 fi62w094  TOP
先聖寺天井の龍 fi62w097 TOP
米清旧宅 fi62w116  TOP

魚屋町案内kaw068
小野洞砂防公園 fi62w141 TOP
岩組ダム fi62w146  TOP
デレーケ式ダム fi62w147  TOP

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