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一宮友歩会・第51回ウオーク例会(下見・例会参加)(
詳細版拡大版
 史跡巡り岐阜編Part7 (各務野自然遺産の森・鵜沼宿他)
(下見:平成26年5月17日(土)天気:晴れ)(例会:平成26年7月5日(土)天気:晴れ・曇り・時々小雨 参加者:36名) 

コース:(6:50or7:20)自宅発−名鉄一宮駅(7:34or8:06)→新岐阜乗換(7:48or8:28)・苧ヶ瀬駅(8:23or8:53)着>
苧ヶ瀬池村国座山中不動各務野自然遺産の森県営各務原公園日之出不動車折神社鵜沼宿
→(鵜沼宿駅:Sコース)→ライン大橋→木曽川堤防(懇親会)・犬山遊園駅(ゴール)→新鵜沼駅新岐阜駅
→一宮駅→帰宅 
(歩数:下見5名/31,416歩 例会H26/7/5 33,735歩 参加者36名) 解説コーナー
コースマップ(pdf)参照)(友歩会例会50回記念誌pdf)(友歩会例会50回記念誌表紙pdf

各務原市hp各務原市歴史民俗資料館(各務原市HP内)鵜沼宿(中山道ぶらり歩記)下記参照
コースマップ(pdf)  平成23年10月1日(第34回岐阜編p4)参照


名鉄苧ヶ瀬駅下車・スタートは苧ヶ瀬池gp7001

苧ヶ瀬池へ向かう途中、右は郷戸池gp7002

苧ヶ瀬池gp7003

おがせ池案内図gp7005

受付(7月5日は36人が参加した)g517008

会長挨拶の後、準備体操をして出発g517013

左は愛宕山268m gp7009

苧ヶ瀬池をスタートgp7010
信仰と伝説のおがせ池 gp7w013

苧ヶ瀬池の中にある八大龍王堂gp7011

村国神社gp7019

村国神社gp7t016

市の天然記念物ムクノキ(村国神社)gp7t020
村国神社由緒 gp7w025

コースマップ(pdf)

村国座・神社境内に建つ明治初期の農村歌舞伎gp7029

村国古墳公園gp7030

山中不動参道に向かうgp7035

山中不動明王gp7036

山中不動(左)g517t020

山中不動から見下ろすg517t022

美濃高野山法福寺gp7040

初夏の新緑がまぶしい山道を行くgp7044

各務野自然遺産の森へgp7045

散策路案内gp7049

須衛古窯跡群g517029

ビオトープgp7050

自然体験講座が開催されているgp7053

自然体験塾gp7051

自然遺産の森をあとにするgp7057

岐阜県営各務原公園・この日ちびっこふれあい祭りがあった060

岐阜県営各務原公園gp7063

各務原公園で昼食後全員集合g517033

日之出不動尊gp7001

車折神社(くるまざき)gp7070

緑陰を歩くgp7074

大安寺(境内)gp7077

中山道鵜沼宿案内gp7081

中山道鵜沼宿脇本陣gp7089

茗荷屋梅田家gp7087

中山道鵜沼宿町屋館(旧武藤家)gp7096

旧大垣城鉄門の説明(大垣城から移設)gp7100

大安寺川沿いに歩くgp7105

羽島用水取水口g517054

ライン大橋を渡るgp7111

犬山城gp7114

木曽川上流犬山城方面(ライン大橋)gp7116

犬山城近影gp7125

犬山ホテル脇を進むgp7133

懇親会場へ向かうgp7137

犬山遊園駅に向かうgp7139

木曽川で懇親会g517065

犬山遊園駅(ゴール)u131

苧ヶ瀬池(Wikipedia参照)                           TOPへ
周囲は約2 km。ある伝説によれば、奈良時代の宝亀年間(770年頃)に一晩でできたという。この池の水
は枯れることはないという。池には大蛇、龍神が住むと言われており、竜宮城の入り口があるともいう。
苧ヶ瀬池の鯉は神の使いとされている。江戸時代以前より観光地として知られ、桜、藤、睡蓮の名所で
ある。しかし、睡蓮はこの数年でほぼ全滅(原因不明の根が腐る病気のため)する。現在は回復のための
活動がされている。龍神が住むという伝説から、古くから信仰の対象とされている。
池の中には八大竜王堂が祭られ、池の周囲には、薬王院、八大竜王本殿、八大白龍大神、苧ヶ瀬神社など
数多くの寺社がある。   コースマップ(pdf)参照
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村国座(Wikipedia参照)TOPへ 村国座は、岐阜県各務原市にある芝居小屋。村国神社の境内にあり、元々は村国神社の奉納する芝居 (歌舞伎)を行なう場所であった。各務の舞台(かがみのぶたい)として重要有形民俗文化財に指定され ている。 江戸時代 - 明治時代、美濃国飛騨国(岐阜県)では、地元の人々による芝居が盛んに行なわれており、 数多くの芝居小屋が建てられた。この村国座もその一つである。構造は、2階建ての白壁の切妻造である。 小規模な芝居小屋とはいえ、回り舞台、仮花道、太夫座、奈落を備えている。桟敷席は1階と2階にある。 劇場形式の農村舞台である。村国神社奉納歌舞伎は、現在、子供歌舞伎として存続している。 村国座は大規模な改修がされておらず、江戸時代〜明治時代の地方の芝居小屋として貴重である事から、 重要有形民俗文化財に指定されている。2006年(平成18年)より、耐震補強、回り舞台の復元などの 大修理が行われ、2009年(平成21年)3月に竣工する。 TOPへ
山中不動 (Wikipedia参照) TOPへ 山中不動は、岐阜県各務原市にある寺院。山中不動院、山中不動明王ともいう。正式には「天野山  山中不動院」という。本尊は不動明王。美濃三不動(迫間不動・日之出不動・山中不動)のひとつ である。 嘉祥年間(850年頃)この地で不動明王の石像が刻まれたという。以降、この不動明王像のある山自体が 信仰の地域であったという。 1913年(大正2年)、風雨にさらされていた不動明王像を保護するために祠が築かれる。1932年 (昭和7年)に拝殿が築かれ、天野山 山中不動院となる。 1938年(昭和13年)に本堂が築かれる。 TOPへ
各務野自然遺産の森(各務原市)HP参照 TOPへ 各務野自然遺産の森とは、岐阜県各務原市にある各務原市営の総合公園。 関市との境の山中(通称各務原アルプス)にある。県営各務原公園に隣接する。 各務原市の水と緑の回廊計画により整備され、2004年(平成16年)10月23日開園。広さは約36.8ha。 境川(新境川)の源流付近にあり、里山の特徴を示す自然環境の保全・再生が行われている。自然環境 や地域文化教育等の拠点として、自然体験塾が整備されており、自然体験講座が開催されている。 付近はオオタカの生息地であり、敷地内の雑木林では営巣が確認されたことがある。 「設備など」 ○健脚の森(健脚の道):金山(標高347.7メートル)への登山道がある。 ○くつろぎの森:芝生広場、小川、池が整備されている。自然体験塾は茅葺き屋根の建物であり、江戸 時代末期の各務郡前野村(後の前洞村→稲葉郡那加町→各務原市)の庄屋の建物を移築したものである。 ○ひみつの森:全長1.6kmのMTBコースがある。 ○発見の森:湿地帯があり、水生植物や水生昆虫が生息。 ○出会いの森:芝生広場みなもと池(境川源流)    TOPへ コースマップ(pdf)
県営各務原公園     TOPへ 各務原公園とは、岐阜県各務原市にある岐阜県営の都市公園。県営各務原公園ともいう。指定管理者 制度により技研・昭和・東海各務原公園管理業務特別共同体が管理運営を行っている。 1982年(昭和57年)4月29日開設。 子どもたちが豊かな自然環境の中で、自由に遊びながら交通に関する知識、正しい交通ルール、交通 安全技能を身につけることができる「交通教室」「交通広場」が設置されているのが特徴である。 他にも、芝生広場や、木製遊具を配置した冒険広場などがあり、 総合公園でもある。広さは約10.2ha。 関市との境の山中(通称各務原アルプス)にある。各務野自然遺産の森に隣接する。TOPへ
日之出不動(Wikipedia参照)  TOPへ 日之出不動は、岐阜県各務原市にある寺院である。日之出不動尊ともいう。大安寺の奥の院にあたる。 本尊は不動明王。美濃三不動(迫間不動・日之出不動・山中不動)のひとつである。 大安寺の笑堂和尚がこの地で修行をし、不動明王を安置したのが始まりという。 一説によれば、明治時代初期、厨子を背負った僧侶が中山道鵜沼宿に宿泊したさい、深夜、厨子から 「私は鞍馬山の日之出不動である。宿から北にある済北山大安寺の奥山に私を安置しなさい。」の声を 聞いたという。僧侶は地元の人々に話し、一宇を構えたという。 現在のように鎮座したのは1887年(明治20年)頃というが、それ以前よりこの地域は霊地とされていた という。1914年(大正3年)には奥之院が設置され、自然の岩を神体とし、 御嶽大神が祀られている。 境内には修行用の滝もあり、観音像、地蔵像などもある。  TOPへ
車折神社(Wikipedia参照)TOPへ 車折神社 (各務原市) 位置:北緯35度25分17.14秒 東経136度56分5.42秒 主祭神 清原頼業 創建 1955年(昭和30年) 車折神社(くるまざきじんじゃ)は、岐阜県各務原市にある神社。 京都市右京区嵯峨にある車折神社から分霊し、1955年(昭和30年)創建される。 学問の神社として、受験生の参拝が多い。 「祭神」 清原頼業(きよはらのよりなり) 平安時代後期の著名な漢学者・儒学者。清原氏の出であり、大外記の 職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と 評されたという。 境内社:芸能神社 祭神は天宇受売命。芸能・芸術の分野で活動する人々より強い崇敬を受けている。 TOPへ
鵜沼宿(HP)  TOPへ 鵜沼宿は中山道52番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県各務原市。 道筋が変更されて、西町と東町が正式に宿場になったのは、慶安3年(1651年)である。 「概略」 尾張藩領 天保13年(1843年)人口:246人 家数:68軒 本陣:1軒、脇本陣:1軒、 旅籠:25軒 「最寄り駅」JR高山本線 鵜沼駅。名鉄各務原線 鵜沼宿駅 「史跡・みどころ」 大安寺橋 二ノ宮神社(芭蕉碑がある) 鵜沼宿石碑:中山道鵜沼宿町屋館(旧旅籠絹屋)  TOPへ
ライン大橋(Wikipedia参照)  TOPへ 犬山頭首工ライン大橋(いぬやまとうしゅこう ラインおおはし)は、愛知県犬山市と 岐阜県各務原市小伊木町を結ぶ木曽川の橋である。また濃尾用水の取水用の可動堰でも ある。一般的には、「ライン大橋」の名が使われている。 「歴史」 江戸時代、御囲堤の建設により木曽川の支川は尽く廃川される。このため、この支川 から農業用水を手に入れていた住民は困り、木曽川から水を得るため、農業用水の建設 を行った。江戸時代初期に、尾張国側で宮田用水と木津用水が建設され、昭和時代初期 には岐阜県側で羽島用水が建設される。 しかし、洪水や流れが変わるなどにより、安定した水の供給が困難であり、水を巡る トラブルも続出した。これを解決するために、農林省は1957年(昭和32年)より10年の 歳月をかけ、羽島用水、宮田用水、木津用水の3つの用水の取水口を統一するための犬山 頭首工を建設する。また、この堰堤に橋をかけ、当時名鉄電車との併用で渋滞が頻発して いた犬山橋の迂回ルートとした。(ライン大橋) 現在、老朽化が進んでおり、数年にわたって改修工事が行なわれている。なお犬山橋は 現在は「ツインブリッジ」の完成により道路と電車線路との分離がされ、道路車線も片側 各2車線となっているので、当橋の通行車両数は「ツインブリッジ」完成前よりは減少した。 2007年(平成19年)6月18日、1月に完成していた管理用の橋が、歩行者専用道として開放 される。   TOPへ
中山道鵜沼宿(wikipedia)   TOPへ 中山道鵜沼宿町屋館(各務原市文化財紹介)鵜沼宿(Map等) 鵜沼宿(Web解説から)  TOPへ  鵜沼宿は古代から、交通・経済の要衝として栄えた土地で県下屈指の古墳や歴史を秘めた城址・神社  仏閣が残っています。  特に交通関係では、古代・中世の東山道各務駅や宇留間市の立った所、  近世では、中仙道「鵜沼宿」として宿駅制度の拠点であり、人と物の集散地であったようであります。  宿場として西町と東町が正式に中仙道鵜沼宿として決定されたのが、慶安四年(1651年)で中仙  道六十九次中、江戸から五十三番目の宿場で約百里三十町(396km)です。  大田宿から木曾谷最後の山道「うとう峠」の難所を越えて二里九町(約9km)、加納宿まで広大な  「各務野」を越え、合の宿(立場たてば)の新加納を経て四里七町(約17km)です。  旅籠の数は年代によって増減はありますが、天保十四年には大八軒、中七軒、小十軒で人口246人、  家数六十八軒だったようです。 鵜沼宿本陣「桜井家」、鵜沼宿脇本陣「坂井家」と「野口家」で交替  で勤め問屋も兼ねていたようです。  鵜沼宿の面影は、明治24年の濃飛大地震により壊滅的な打撃を受けたのは残念なことです。
9月23日中山道鵜沼宿完成記念祭開催。
 9.4の下見の時には電線の地中化、案内看板の新設、駐車場整備等がほぼ出来ていた。

中山道鵜沼宿町屋館 各務原市歴史民俗資料館 鵜沼宿探訪から探索してください。   TOPへ  中山道鵜沼宿の町並みのほぼ中央に位置する当館は、平成18年、各務原市が武藤家から建物の寄付を  受け、修復工事を経て、平成20年5月より中山道鵜沼宿町屋館として公開しています。  屋敷は、中庭を囲むように主屋、東側の附属屋、西側の離れの三棟からなり、町屋の特色をよく伝え  ていることから、三棟とも国の登録有形文化財、また景観重要建造物となっています。 武藤家は、鵜沼宿本陣桜井家の東側に隣接しており、江戸時代は「絹屋」の屋号で旅籠を営んでいま  した。幕末の絵図に見られる「絹屋」は、「表間口6間、奥行11間、惣坪192坪半」で、渡り廊下で  つながる2棟の家屋からなり、中庭・裏庭・湯殿2・土蔵2をもっていたことが分かります。   明治維新を迎え、鉄道の普及とともに旅籠の経営も難しくなったようで、本家に当たる武藤嘉左衛  門家が営んでいた郵便局業務を引き継ぎ、明治16年(1883)より「鵜沼駅三等郵便局」を経営するよう  になりました。明治24年(1891)の濃尾震災により倒壊し、建て直し後も、同地で郵便局を営み、  昭和39年(1964)まで開局していました。
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衣裳塚古墳                             TOPへ
衣装塚古墳は、各務原台地の北東辺部に位置する岐阜県下最大の円墳です。墳丘の大きさは直径が
52m、高さが7mあり、周囲は開墾のためやや削平を受けていますが、北側はよく原形を留めています。
また、墳丘表面には葺石や埴輪は認められません。衣裳塚古墳は、円墳としては県下最大規模の古墳
です。ここより南西約300mのところに県下第2位の規模を有する前方後円墳の坊の塚古墳が所在する
ことや、本古墳の墳丘西側がやや突出する形態を示していることから、本古墳も本来前方後円墳であ
ったものが、後世の前方部が削平されて、後円部が円墳状に残された可能性もあります。
衣裳塚古墳の築造年代については、本古墳の埋葬施設や年代が推定できる出土遺物が知られていな
いため、正確な判定はできませんが、およそ古墳時代から中期にかけて(4世紀末から5世紀前半)の時
期に坊の塚古墳に先行して築造されたと考えられます。

「参考」皆楽座(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)  TOPへ 皆楽座(かいらくざ)は、岐阜県各務原市にある芝居小屋。 概要:中山道鵜沼宿近くの津島神社(各務原市鵜沼羽場町)の境内にある。芝居(歌舞伎)小屋で あるが、津島神社の拝殿を兼ねているため、本殿に向かって正面にある。同じ各務原市にある村国座 とは異なり、奉納歌舞伎や子供歌舞伎は行われていない。現在はサークル活動、ミニコンサートなど のイベント会場として利用されている。  構造は、2階建ての白壁の切妻造である。小規模な芝居小屋とはいえ、回り舞台、囃子座仮、楽屋、 奈落を備えている。桟敷席などの客席は設けられていない。これは拝殿を兼ねているためである。 1882年(明治15年)頃完成したというが、1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊。その後倒壊した 資材を再利用し、1898年(明治31年)に再建される。 各務原市の重要有形民俗文化財に指定されている。また、2006年(平成18年)には国の登録有形 文化財に登録されている。TOPへ

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