一宮友歩会・第34回ウオーク例会(下・下見・例会参加)(
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 史跡巡り岐阜編Part4 (中山道・鵜沼宿他)
(下下見@:平成22年7月24日(土)天気:晴れ・下下見AH23.5.6(金)晴れ下見:9月4日(日)台風12号雨・一部省略)
(例会:平成23年10月1日(土)天気:晴れ 参加者60名) 
★9月23日中山道鵜沼宿完成記念祭開催。9.4の下見の時には電線の地中化、案内看板の新設、駐車場整備等がほぼ出来ていた。
(H22.7.24は、梅雨明け宣言が出された。H23.5.6は立夏。H23.9.4台風)

コース:7:10自宅発(おにぎり等持参)→名鉄羽島市役所前8:38→新岐阜乗換・新鵜沼駅8:40頃着西口>
>回廊・JR東口9:10発→貞照寺・川上別荘→名勝木曽川>中山道>日本ラインうぬまの森→うとう峠→
→赤坂の地蔵堂→大安寺大橋・中山道鵜沼宿町屋館・脇本陣跡・二宮神社(昼食予定)→衣裳塚古墳(空安寺)→
羽場公園・津島神社(皆楽座)→羽場駅(Sコース)→伊木山・展望台(×キューピーの鼻・山頂→熊野神社→炉畑遺跡→名鉄二十軒)
→ライン大橋→木曽川堤防(懇親会)・犬山遊園駅(ゴール)→新鵜沼駅→新岐阜駅→笠松→羽島市役所前駅→帰宅 
(歩数:下下見@7/24歩数41,045歩(早朝散歩含む) 下下見Ah23/5/6歩数32,523歩下見6名、19,522歩台風雨天短縮
 例会H23/10/1、31,544歩 参加者60名)

各務原市歴史民俗資料館hp各務原市観光案内(歴史)hp鵜沼宿(中山道ぶらり歩記)下記参照
炉畑遺跡公園(解説) 炉畑遺跡(Wikipedia)うとう峠(解説)川上貞奴成田山貞照寺衣裳塚古墳
皆楽座 コースマップ(pdf)


名鉄新鵜沼駅(西口)がスタートunu903
10月1日は久しぶりの晴天になった

名鉄とJRを結ぶ鵜沼駅空中歩道(回廊)unu006
名鉄西口からJR東口へ降りる

受付(10月1日は晴天で60人が参加した)1015

準備体操をして出発unu1018

成田山貞照寺u006

成田山貞照寺の鐘楼堂011

成田山貞照寺本堂(拡大)unu012
両側の狛犬は映画会社松竹が寄贈

狛犬の台座にある寄贈者映画会社松竹1023
の兄弟の社長名(白井松次郎と大谷竹次郎)

貞奴縁起館 014

貞照寺についての解説を聞くunu1020

貞照寺庭園019

智水観音(諸芸上達)022

川上貞奴の墓026

川上貞奴の墓027(両側に生年の羊が見える)

山門の仁王像@ 031

仁王像A 030

仁王門

川上別荘(晩松園)035

梅雨で増水した木曽川042

名勝木曽川付近046

トンネルを抜けて中山道へ 051

中山道うとう峠拡大解説)  TOP

うぬまの森を通る中山道@

中山道の標識057 TOP

中山道うとう峠一里塚066

日本ラインうぬまの森石標074

赤坂の地蔵堂(手前方面が鵜沼宿)079

中山道うとう峠(左側)へ至る道標082

鵜沼宿高札場1034

鵜沼宿ボランティアガイドの皆さん1037

大安寺川を渉ると町屋館1041

松尾芭蕉の句碑(脇本陣)1048

中山道鵜沼宿町屋館089

町屋館の梁090  TOP

くど(鵜沼宿町屋館)092

排気窓(鵜沼宿町屋館)093

離れと庭(鵜沼宿町屋館)096

H22年5月オープンの鵜沼宿脇本陣100  TOP

脇本陣内部@  unu108

脇本陣内部A真新しい樹の匂いがした。unu109

吹き抜けの天井1049

ボランティアガイドの高橋さん1050

脇本陣(東側)102

二宮神社(脇本陣北)104(赤坂神社が一宮とか)

二宮神社
(古墳の石棺が左に見える)

鵜沼宿の面影を残す旧家110(下図
平成23年9月電線地中化等整備完成。

衣裳塚古墳(解説)

衣裳塚古墳(拡大説明)

津島神社u082

皆楽座u083

皆楽座西隣の羽場公園で全員集合 unuw1060   2011.10.01

中山道羽場公園(津島神社西隣)u084

Sコースの名鉄羽場駅086

伊木山へ116

伊木山へu087(下下見:羽場駅から南下)

伊木山中腹の展望台から見た各務原126

展望台から犬山城方面を展望1062
例会では以下のキューピーの鼻、熊野神社、炉畑遺跡巡りなどは時間の都合でカットした。

キューピーの鼻からみた木曽川@143(旧下見)

キューピーの鼻からみた木曽川A145拡大

山頂173mの標識伊木城解説)(旧下見)

熊野神社奥宮151(那智、本宮、速玉大社碑)

熊野神社参道155(旧下見)

参道の古木157(旧下見)
炉畑遺跡公園  TOPへ

炉畑遺跡は、今から約5000年前の縄文中期
から後期にかけての集落遺跡で、県の指定文化
財でもある大きな遺跡です。
発掘調査はこれまでに6回行われ、現在の竪穴
式住居跡と多くの縄文土器、石器が出土しまし
た。炉畑遺跡から出土した土器は、西日本や東
日本の特徴を持っていての影響が見られるもの
もあり、当時も現在と同じような交流があった
ことがわかります。
また狩りに使う矢じりや、魚をとるための石の
おもり、木を切ったり土を掘ったりするための
石斧など本当に多くの遺跡が見つかっていま
す。 wikipedia等解説

炉畑遺跡解説) @168(旧下見)

炉畑遺跡8号住居 A173(旧下見コース参考)

1号住居 B 174拡大)  TOPへ
例会では以上のキューピーの鼻、熊野神社、炉畑遺跡巡りなど時間の都合でカットした。

犬山城と迎帆楼(右)1063 ライン大橋から撮影

犬山城Cu122

犬山城@u110

犬山城Au117 (ライン大橋から撮影)

犬山城Bu121

大勢の人出で賑わう犬山城1071

犬山橋(10.1懇親会が催された)130

犬山遊園駅(ゴール)u131

川上貞奴(Wikipedia参照)                           TOPへ
川上 貞奴(かわかみ さだやっこ、本名 川上 貞(旧姓:小山)、
明治4年7月18日(グレゴリオ暦1871年9月2日) - 昭和21年(1946年)12月7日)は、戦前の日本の女優。
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川上貞奴(本名・小山貞)
明治4年 東京生まれ。幼少より才女の誉れ高く、美貌で諸芸に優れ、伊藤博文などの明治の元勲のひいき
をうける。明治27年 川上音二郎と結婚。同32年、女優貞奴となり、米、仏、英、ロシアで名声を博す。
仏政府よりオフィシェ・ド・アカデミー勲章受賞。大正6年引退。
昭和8年岐阜県各務原市に貞照寺を建立。同21年熱海の別荘で死去。享年76歳。 
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貞奴とは、明治、大正を通じて、才色兼備の女優で荘土芝居、特にオッペケー節で有名な川上音二郎の妻。
芸者時代から桃介の人格に心酔していた貞奴は、音二郎の没後、桃介に再び尊敬の念を抱き、大井ダム建設
に協力。実業の鬼・桃介の一生にさらに一輪の花を添えました。
貞奴も福沢桃介同様木曽川を深く愛していました。                  TOPへ

成田山貞照寺(東海三十六不動尊HP)川上貞奴別荘晩松園)(Wikipedia)   TOPへ
晩松園: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 TOPへ 晩松園(ばんしょうえん)とは、岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある旧川上貞奴別荘のことである。 鉄瓦で葺かれた屋根や凝った内部装飾などが、ほぼ創建当初の姿で保存されている。国の登録有形文化財に 登録されていた(2006年〈平成18年〉3月登録、2010年7月抹消)。 現在は愛知県の民間企業の所有で結婚式場となっている。 概要 日本初の女優として知られる貞奴(本名 小山貞)が女優引退後の1933年(昭和8年)自らの菩提寺として 建立した貞照寺の門前に建設した別荘で、木曽川に面し茶室を備えた広大な庭を持つ敷地面積1,500坪、 建坪150坪、一部二階建て25-26室のモダンな数奇屋造りの建物である。 南部鉄器の瓦で葺かれた数奇屋風建物、洋風サロンルーム、萱葺き民家風の建物などが一体となって別荘の 外観を構成しており、建物の保存状態も良く、内部の壁、装飾品などがほとんど当時のまま残されている。 建物の内部に入ると「桐の間」と呼ばれる客室があり、床は上段床、華頭窓は道成寺の鐘形。襖には豊州 画伯の木曽の山水画が描かれている。 貞奴死去(1946年)後は、豊築紡績の所有となり、約70年間一般公開されることなく、同社の保養所として 使用されてきたが工場の閉鎖に伴い2004年(平成16年)に現在の所有者に売却された。 TOPへ
中山道鵜沼宿(wikipedia)   TOPへ 中山道鵜沼宿町屋館(各務原市文化財紹介)鵜沼宿(Map等) 鵜沼宿(Web解説から)  TOPへ  鵜沼宿は古代から、交通・経済の要衝として栄えた土地で県下屈指の古墳や歴史を秘めた城址・神社  仏閣が残っています。  特に交通関係では、古代・中世の東山道各務駅や宇留間市の立った所、  近世では、中仙道「鵜沼宿」として宿駅制度の拠点であり、人と物の集散地であったようであります。  宿場として西町と東町が正式に中仙道鵜沼宿として決定されたのが、慶安四年(1651年)で中仙  道六十九次中、江戸から五十三番目の宿場で約百里三十町(396km)です。  大田宿から木曾谷最後の山道「うとう峠」の難所を越えて二里九町(約9km)、加納宿まで広大な  「各務野」を越え、合の宿(立場たてば)の新加納を経て四里七町(約17km)です。  旅籠の数は年代によって増減はありますが、天保十四年には大八軒、中七軒、小十軒で人口246人、  家数六十八軒だったようです。 鵜沼宿本陣「桜井家」、鵜沼宿脇本陣「坂井家」と「野口家」で交替  で勤め問屋も兼ねていたようです。  鵜沼宿の面影は、明治24年の濃飛大地震により壊滅的な打撃を受けたのは残念なことです。
9月23日中山道鵜沼宿完成記念祭開催。
 9.4の下見の時には電線の地中化、案内看板の新設、駐車場整備等がほぼ出来ていた。

中山道鵜沼宿町屋館(各務原市文化財紹介)   TOPへ  中山道鵜沼宿の町並みのほぼ中央に位置する当館は、平成18年、各務原市が武藤家から建物の寄付を  受け、修復工事を経て、平成20年5月より中山道鵜沼宿町屋館として公開しています。  屋敷は、中庭を囲むように主屋、東側の附属屋、西側の離れの三棟からなり、町屋の特色をよく伝え  ていることから、三棟とも国の登録有形文化財、また景観重要建造物となっています。 武藤家は、鵜沼宿本陣桜井家の東側に隣接しており、江戸時代は「絹屋」の屋号で旅籠を営んでいま  した。幕末の絵図に見られる「絹屋」は、「表間口6間、奥行11間、惣坪192坪半」で、渡り廊下で  つながる2棟の家屋からなり、中庭・裏庭・湯殿2・土蔵2をもっていたことが分かります。   明治維新を迎え、鉄道の普及とともに旅籠の経営も難しくなったようで、本家に当たる武藤嘉左衛  門家が営んでいた郵便局業務を引き継ぎ、明治16年(1883)より「鵜沼駅三等郵便局」を経営するよう  になりました。明治24年(1891)の濃尾震災により倒壊し、建て直し後も、同地で郵便局を営み、  昭和39年(1964)まで開局していました。
うとう峠(解説)          TOPへ 市指定史跡 旧中山道うとう峠一里塚 慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利をおさめたた徳川家康は慶長六年に東海道各宿に対し伝馬制を敷き、 宿駅制の準備に着手しました。 美濃を通る中山道では、慶長九年(1604)に大湫(おおくて)宿、同十一〜十二年に細久手宿が設けられ、さらに 寛永十一年(1634)には加納宿、元禄七年(1694)には伏見宿が新設され美濃中山道十六宿体制が完成し ました。 また、この間、寛永年間(1624〜44)には大名の参勤交代制が敷かれ、各宿に問屋・本陣・助郷制が整備さ れています。 各務原地域を通る中山道は、慶安四年(1651)にそれまで木曾川を越えて犬山膳師野(ぜんじの)から可児へ 抜ける道筋から、鵜沼の山添いを通り、ここ、うとう峠を越えて太田宿へ至る道に付け替えられました。 うとう峠の「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、「不案内・よそよそしい・気味の悪い」などの意味 があると考えられます。 このうとう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8`)に及ぶ山坂で、長坂・天王坂・塞の神坂などの険しい坂が続 き、「うとう坂」と総称されていました。 うとう峠の「一里塚」は、峠を西側にやや下ったところにあり、道の南北両側にそれぞれ「北塚」・「南塚」が残っ ています。 北塚は直径約10b・高さが約2bで良く原形を保っているのに対し、南塚は太平洋戦争中に航空隊の兵舎建設に よって、南側の半分が壊されてしまいました。 かって各務原地域には、ここ以外に各務原山の前・六軒東方・新加納村にも一里塚がありましたが、現在ではすべて 消滅しています。 一塚は江戸時代の交通・宿駅制度を考えるとともに、当時の旅人の苦労が偲ばれる重要な史跡であり、うとう峠の一里 塚は、そのわずかに残された貴重な歴史的財産といえます。   平成6年2月吉日  (各務原市教育委員会)
各務原市歴史民俗資料館      TOPへ
衣裳塚古墳                             TOPへ
衣装塚古墳は、各務原台地の北東辺部に位置する岐阜県下最大の円墳です。墳丘の大きさは直径が
52m、高さが7mあり、周囲は開墾のためやや削平を受けていますが、北側はよく原形を留めています。
また、墳丘表面には葺石や埴輪は認められません。衣裳塚古墳は、円墳としては県下最大規模の古墳
です。ここより南西約300mのところに県下第2位の規模を有する前方後円墳の坊の塚古墳が所在する
ことや、本古墳の墳丘西側がやや突出する形態を示していることから、本古墳も本来前方後円墳であ
ったものが、後世の前方部が削平されて、後円部が円墳状に残された可能性もあります。
衣裳塚古墳の築造年代については、本古墳の埋葬施設や年代が推定できる出土遺物が知られていな
いため、正確な判定はできませんが、およそ古墳時代から中期にかけて(4世紀末から5世紀前半)の時
期に坊の塚古墳に先行して築造されたと考えられます。

皆楽座(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)  TOPへ 皆楽座(かいらくざ)は、岐阜県各務原市にある芝居小屋。 概要:中山道鵜沼宿近くの津島神社(各務原市鵜沼羽場町)の境内にある。芝居(歌舞伎)小屋で あるが、津島神社の拝殿を兼ねているため、本殿に向かって正面にある。同じ各務原市にある村国座 とは異なり、奉納歌舞伎や子供歌舞伎は行われていない。現在はサークル活動、ミニコンサートなど のイベント会場として利用されている。  構造は、2階建ての白壁の切妻造である。小規模な芝居小屋とはいえ、回り舞台、囃子座仮、楽屋、 奈落を備えている。桟敷席などの客席は設けられていない。これは拝殿を兼ねているためである。 1882年(明治15年)頃完成したというが、1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊。その後倒壊した 資材を再利用し、1898年(明治31年)に再建される。 各務原市の重要有形民俗文化財に指定されている。また、2006年(平成18年)には国の登録有形 文化財に登録されている。
炉畑遺跡公園Web解説へ    TOPへ

炉畑遺跡(Wikipedia)
炉畑遺跡(ろばたいせき)は、岐阜県各務原市にある各務原台地のほぼ中央に位置する縄文時代
中期〜晩期の集落遺跡である。2006年に現在の炉畑遺跡公園として整備され、縄文時代の風景や
生活スタイルを体感し遊びながら縄文時代を学べる。岐阜県指定史跡に指定されており、また出土品が
岐阜県指定重要文化財に指定されている。
 概要 
1966年(昭和41年) - 土地改良工事の際発見される。現在までに6回の発掘調査が行なわれ、10基以上
の竪穴式住居跡や、高床式倉庫の原型の倉庫、石囲炉の遺構が検出された。
その他、多数の縄文式土器、石器などの道具や、棺が見つかっている。 
1974年(昭和49年)- 遺跡が岐阜県指定史跡に、出土品が岐阜県指定重要文化財にそれぞれ指定される。
2001年(平成12年) - 6基の竪穴式住居が再現されていたが不審火で焼失する。 
2006年6月(平成18年) - 炉畑遺跡公園として再整備される。 
炉畑遺跡公園の北側に新たな遺跡が発掘され、公園の拡張を予定している。 

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