一宮友歩会・第回ウオーク例会(下下見・例会参加)(
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 史跡巡り岐阜編Part4 (鵜沼宿)
(下下見:平成22年7月24日(土)&5.6(金)天気:晴れ)(例会:平成23年10月1日(土)天気:晴れ)

炉畑遺跡1号住居うとう峠一里塚説明伊木城跡の説明キューピーの鼻から見た木曽川伊木山地図
各務原東部の遺跡・史跡犬山城衣裳塚古墳 コースマップ(pdf)
(10月例会では、伊木山、キューピーの鼻、炉畑遺跡などは都合により、割愛です。)

成田山貞照寺uw019
中山道うとう峠解説 unuw054 TOPへ


衣裳塚古墳          TOP
伊木城跡の説明unuwi2       TOPへ

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伊木山地図                                  TOPへ
各務原東部の遺跡・史跡               TOPへ
キューピーの鼻から見た木曽川unuw1141    TOPへ






炉畑遺跡1号住居   TOP
犬山城の遠望uw110   TOP
犬山城uw117     TOP

2011.9.4 台風12号の影響下の犬山城(ライン大橋から) TOPへ



2011.10.01

うとう峠一里塚説明unuto1          TOPへ

市指定史跡 旧中山道うとう峠一里塚
慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利をおさめたた徳川家康は慶長六年に東海道各宿に対し伝馬制を敷き、宿駅制の準備に着手しました。
美濃を通る中山道では、慶長九年(1604)に大湫(おおくて)宿、同十一〜十二年に細久手宿が設けられ、さらに寛永十一年(1634)には加納宿、元禄七年(1694)
には伏見宿が新設され美濃中山道十六宿体制が完成しました。
また、この間、寛永年間(1624〜44)には大名の参勤交代制が敷かれ、各宿に問屋・本陣・助郷制が整備されています。
各務原地域を通る中山道は、慶安四年(1651)にそれまで木曾川を越えて犬山膳師野(ぜんじの)から可児へ抜ける道筋から、鵜沼の山添いを通り、ここ、うとう峠を越
えて太田宿へ至る道に付け替えられました。
うとう峠の「うとう」とは、疎(うとい・うとむ・うとう)で、「不案内・よそよそしい・気味の悪い」などの意味があると考えられます。
このうとう峠と鵜沼宿との間は、十六町(約1.8`)に及ぶ山坂で、長坂・天王坂・塞の神坂などの険しい坂が続き、「うとう坂」と総称されていました。
うとう峠の「一里塚」は、峠を西側にやや下ったところにあり、道の南北両側にそれぞれ「北塚」・「南塚」が残っています。
北塚は直径約10b・高さが約2bで良く原形を保っているのに対し、南塚は太平洋戦争中に航空隊の兵舎建設によって、南側の半分が壊されてしまいました。
かって各務原地域には、ここ以外に各務原山の前・六軒東方・新加納村にも一里塚がありましたが、現在ではすべて消滅しています。
一塚は江戸時代の交通・宿駅制度を考えるとともに、当時の旅人の苦労が偲ばれる重要な史跡であり、うとう峠の一里塚は、そのわずかに残された貴重な歴史的財産といえます。
  平成6年2月吉日  (各務原市教育委員会)

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