一宮友歩会・第26回ウオーク例会(下見・例会)(詳細版拡大版)
 史跡巡り東尾張編Part3参加 
(下見:平成22年4月24日(土)天気:晴れ)(例会:平成22年6月5日(土)天気:晴れ)

宇都宮神社古墳史跡小牧山遺構分布図小牧神明社連理木小牧神明社由緒岸田家説明上街道・小牧宿案内板本陣跡

見所説明は、友歩会第26回例会案内参照)小牧山下記解説参照) 小牧・長久手合戦 小牧周辺配陣図
神明生田神社(加藤さんのブログ参照) 五条川左岸浄化センターの仕組み

宇都宮神社古墳 iksw023  TOPへ
史跡小牧山遺構分布図 047            TOPへ
小牧神明社連理木 076          TOPへ

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小牧神明社由緒 078     TOPへ
岸田家説明                   TOPへ
本陣跡                            TOPへ
上街道・小牧宿案内板 115 下図参照              TOPへ
小牧・長久手合戦 小牧周辺配陣図                           TOPへ

小牧・長久手合戦
天正12年3月、秀吉軍の池田恒興は、犬山城を奇襲して占拠、森長可
は羽黒の八幡林で家康勢と戦って敗れた。
秀吉は大坂で長可が敗れたことを聞き、直ちに三万の兵を率い、大垣か
ら犬山へ着き戦況を聞いて、小牧山を北東から包囲するよう各武将を布
陣させた。そして、みずから楽田に本陣をかまえた。 

 一方、信雄・家康連合軍は、小牧山に本陣をかまえ、小牧山から東へ
連砦を築き、秀吉軍に対した。

これで両軍の戦闘準備が整い、今にも天下分け目の戦いが開始される
ばかりとなった。しかし、二度の小競り合いがあっただけで、互いに
相手の出方をうかがい、両軍に大きな動きは見られなかった。 

4月にはいって、秀吉軍に動きがあった。それは、家康の本拠地岡崎を
奇襲しようという恒興の進言を、はじめ取り入れなかった秀吉が聞き入
れ、作戦が始まったのである。 
4月6日夜半、3万7千余の大軍を四隊に分け、第一隊恒興、第二隊
長可、第三隊堀秀政、第四隊三好秀次を隊長として、楽田から物狂峠を
越え、山裾にそって大草、関田を経て上条に野営し、庄内川を渡って
長久手方面へ向かった。
しかし、この動きは、家康側に通ずる篠木の住民により小牧山の家康の
本陣に通報された。それを聞いた家康は、ただちに水野忠重に命じて
小幡城に向わせ、自らは9300の兵を率い、如意、勝川を経て庄内川
を渡り、小幡城へ入った。 
4月9日早朝、家康軍先遣隊は白山林で秀吉軍の秀次隊を打ち破った。
秀次隊は援軍を秀政に願い、秀政隊は桧ヶ根で家康軍先遣隊をいったん
打破した。しかし、力を使い果たして、ついに北方へ退却した。
家康軍本隊は長久手に進み、恒興・長可両軍を迎えたので、ついに一大
決戦がはじまった。 
戦死したので、同軍は崩れた。
この日の戦いで、両軍の死者は秀吉軍2500、家康軍550であった。 

この敗報を聞き、秀吉は2万の兵を率いて長久手へ向かったが、家康は
いち早く兵をまとめ、遠回りして小牧山へ帰った。
夜が明けて、このことを知った秀吉は、何らなすすべもなく、兵を率いて
楽田に帰った。

その後、両軍のにらみあいが続いたが、大きな合戦をすることもなく、
5月1日、秀吉軍の主力は小牧地区から退き、又家康軍も7月中旬には
兵を引いた。 
この年、11月、桑名で秀吉と信雄が和議を結び、次いで信雄のすすめ
で家康も秀吉と和解し、8ヶ月にわたる小牧・長久手の戦いは終わった。 
史跡小牧山(引用参照)

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国指定史跡「小牧山」は、愛知県小牧市堀の内一丁目地内に所在し、小牧市の西部、中心市街地のすぐ西
に位置する。
小牧市は名古屋市北方約15km、濃尾平野の東端に位置し、市内を東名高速道路・名神高速道路が東西に
横断しているほか、市の東部に小牧ジャンクションがあり、中央自動車道が分岐しており、小牧、小牧東
の二つのインターチェンジを有する。
また、南部には 県営名古屋空港があり、交通の要衝としての地の利にも恵まれている。
 小牧山は、東西約600m、南北約400mの古生層の独立峰で、標高85.9mの小山であるが、濃尾平野に
独立してうかぶ姿は美しく、小牧市の シンボル的存在になっている。
また、小牧山は、周辺が都市化していく中で濃い緑を残し、市民のオアシスともなっている。
山頂に小牧市歴史館(小牧城)をもつ緑豊かな 小牧山は、広範囲から視認でき、とりわけ高架の東名・
名神高速道路、名古屋高速道路を走る車上からはかなり遠方からも視認でき、ランドマーク機能を持つ
とともに、山頂の小牧市歴史館(小牧城)からは、雄大な360度のパノラマ眺望を楽しむことができる。
 小牧山の史跡指定は、昭和2年10月26日で、史跡指定面積205,956.24uである。
その大半を小牧市が所有しているが、南部の八幡神社周辺が神社地となっている。  TOPへ
五条川左岸浄化センターの仕組み
主な処理施設         TOPへ
小牧市歴史館 小牧市 史跡小牧山 小牧山案内図  五条川左岸浄化センターのPDF(参照抜粋)

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